start to [ ] のはじまりの話 その1

カテゴリー blog, ナングラ小学校PJ

こんにちは、共同代表の大野です。
昨夜のミーティングで、『ブログ書こうよ』となりまして、今日から少しずつ、マイペース(アワペース)で書いてみようかと思います。start to [ blog ] って感じですかね。

僕らstart to [ ] は、バングラデシュの子どもたちが『夢を持って何でもはじめることができること』を目指して、まずはバングラデシュのナングラ村でその環境づくりのお手伝いをしています。それと同時に、『何かはじめたい』とうずうずしている日本の若者(大学生でも社会人でも)の背中を押してみる、という活動もしています。

日本での活動の一環として、これまでいろんな方をゲストにお呼びして『どうしたら自分ではじめることができるのだろう?』ということをシェアしてもらいました。これはインタビュアーの僕らにとっても非常にいい経験で、かものはしプロジェクトの村田さんや、カタリバの今村君など、本当に素敵な話を聞かせてくれました。

でも、世の中から広く認知されるくらい大活躍している人の話って、ちょっと『雲の上』的になってしまいがちで、多少神がかって見えてしまうことが往々にしてあります。
だから、無名の僕らが、もう少し自分たちのことを話した方が親近感沸くかもね、「あいつらでできるなら、俺でもできるかもしれない!」と思えるかもね、という仮説を立てて、僕らのはじまりの話をしてみようかな、と思いました。気まぐれと言えば気まぐれかもしれませんが、誰かの勇気の源になれることを信じて、僕らstart to [ ] がどのようにしてはじまったかをお話しできればと思います。

普通の人たちの、ちょっと変わった普通の物語、はじまりはじまり?。

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今でも最初に思い出すのは、青山通りで共同代表の内山に声をかけられたシーン。
共通の友人の結婚式に向かう途中でした。

僕は、当時バングラデシュで別のNGO活動を持っていたのだけど、政治的なイザコザに巻き込まれ、途方に暮れているところでした。と同時に、資金も情熱もあるのに活動できない状況に憤慨し、最終的には飽き飽きし、『もういいや、自分でもう一回何かをはじめよう』と思っていた矢先でした。

一方、内山の方は政府組織で働き、生業として夢であった海外支援活動をはじめたものの、彼自身もまた「終わりの見えなさ」を実感し、仕事を辞め、そしてライフワークとして『何か自分ではじめたい』と思っていた矢先でした。

そんな彼に、会場に向かう途中に呼び止められ、歩きながらお互いの状況を話し、『世界の子どもたちの死因の大部分を占めている水の問題』の話題になり、『バングラデシュはお互いの知り合いも多い』ことを共有し、最終的には『いっちょやってみるか』となりました。
まぁでも、その時は世の中によくある『今度飲みいこ』ってくらいの約束でした。

約束はしてみたものの、本当に何ができるかさっぱりわからなかったし、『どうにかなる』なんて微塵も思わなかったけど、今になって思えば、悶々鬱々とした時期を一刻も早く打破したい!という思いの方が強かったのかもしれない。でも本当にきっかけなんて仰々しいものじゃなくてよくて、適当なものでもいいんだよね。不思議なんだけど。

その後、彼と僕とで渋谷のジョナサンで打ち合わせをし、『コンセプトを固める前に仲間を』ということになり、同じく共同代表の関本と、高原に声をかけることにしました。
このあたりの僕の思考は、ほとんどドラクエで、それぞれに修行してきた内山と僕が集まり、我々に欠けているピースを思い浮かべて、「よし、やっぱり魔法使いだな」みたいな。そんな感じで関本と高原を招集しました。笑
関本は、ミャンマーでモバイルクリニックに従事したこともある看護師で、彼女の医療に対する情熱と知識とはいつかコラボしたいと思ってましたし、高原は、日本の若者をバングラデシュに連れ出し、キャンプを運営するような豪傑で、彼とも別のところでコラボしたことはあったものの、バングラデシュのフィールドであれば、彼とのコラボは欠かせないという思いでした。

でも、まだ『バングラデシュのこの村』ということも決まっていなかったし、『それをどうやって決めんの?』という想いや、『そもそも本当に水の問題がやりたかったんだっけ? 僕らより優秀なプレーヤーがいるのに?』という想いもありました。不安だらけだったけど、だからこそ動いてみよう、となりました。不安は実践でしか解消できないのかもしれません。

内山は、いつもはひどく沈着冷静なのだけど、こういう時に急に子どもっぽく『まぁほら、ひとまずやってみようよ!』となるところが魅力で、行動派(思考派ではない)の僕はいつもの通り、『よっしゃ出番きた!』なーんていう風に、最初のアクションに踏み出すことに。

この頃は、まだ名前もなくて(実は僕には当初からアイディアはあったのだけど、のちに伝説的にボツになる)、でもなんと言うか、ワクワクする気持ちは常にありました。はじまる予感やワクワクが原動力になるというのは本当で、とくにモノゴトのはじまりの時には、大いにその感じに従ってしまっていいんじゃないかと思うわけです。

どうやって支援地域を決めたのか、どうやって支援地域で狙い通り活動をはじめられたのか、そのあたりはまた次回書きますね。

では、またね。