前回までのお話しは、コチラを。
『アジア経済研究所』の図書館でいろいろと資料を探り、最終的に現地に行くことに決めたところからです。当時の自分に『どうですか?』とインタビューしてみたいところですが、正直なところ確信めいた自信はなかったように思います(そりゃそうです)。
でも、なんとなく、『何か』が動き出す予感がありました。
自分たちの手で動かそうとしているワクワク感や、自分たちの目で見ようとしているドキドキ感が入り交じって、何とも形容できない不思議な気持ちだったことを思い出します。僕はそれに加えてこのメンバーで行けることへの喜びもありました。
今思うと、このあたりから歯車がコチコチといろんなところで動き出していたように思います。それを全部動かすための残り1つのピースが自分たちだった、とでもいうように。今でも、よくその頃を振り返って、『Take action, Make miracle』と話しています。このエントリーでは少しずつ少しずつ歯車が動き出す、そのあたりのお話しを。
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結局、まだ見ぬ土地には、共同代表の内山、関本、僕、そして、僕と10年前からバングラデシュのプロジェクトで苦楽を共にしてきた盟友笠原の4人でいくことになりました。
手がかりは、僕と笠原のバングラデシュでのほんのちょっとした経験(ローカルバスに乗れるとかレストランで注文できるとか)、内山の元同僚が首都ダッカで働いていること、その方がいろいろ手配してくれそうな現地業者を知っている、という3点のみでした。
ワクワクドキドキとは裏腹に、『ダッカまでは何とかなりそうだけど、現地行ったらどうしようっかなぁ…』という自問自答は心の中から出たり入ったりしていました。出発までに、何とか伝手を使って現地の誰かにアポを入れられるよう調整を試みましたが、最終的に調整できたのは『Star Hotel』という現地のエアコン付ホテルと、ダッカから現地へ向かう車の手配のみ。
でも、本当に不思議なのだけど、内山が現地業者に聞かれて『少しでも快適な方がよかろう』と日本で適当にエアコン付を選んでことこそが、実は現地のすべてのはじまりになることに。
やってみると扉は開かれるもの、startすることで自ら景色を変えることができる、というのは実は僕らもこの時に身をもって体感したことで、この時から『日本でもこういう話をたくさん伝えたい』と思うようになっていったのかもしれません。
Jamalpur(ジャマルプール)に到着した僕らは、当然行くあてもないので、まずは『Star Hotel』にチェックインすることにしました。向かう車中で話したいくつかの作戦は以下の3つ。
(1)現地NGOを突撃訪問してみる(代表的なBRACなど)
(2)同じくBRACが運営する現地手工芸品工場を突撃見学する
(3)こういう支援したいんだけど人を紹介してよ、言いまくる
作戦はほとんど『突撃』。
今思うと本当にアホみたいなのですが、作戦の話もそこそこに、車中の主題は僕の恋愛話だったような…(あぁ、なんてくだらない…ごめんなさい…)。
車を降りてチェックインすると、ホテルのオーナーが親しげに(そしてどこか緊張気味に)僕らに話しかけてきます。これはバングラデシュではどこにでもある風景で、僕は話半分で(実際はほとんど)聞き流していたのですが、なんだかよくわからないうちに、彼がガイドをしてくれることになりました。(こういうこともしょっちゅうあるし、正直面倒くさいパターンの方が多い、と思う)
その男の名は、Biplop(ビプロップ)。
英語はたどたどしいけど何とか会話になる。僕らの英語も理解していないようにみえるけど何となく理解してくれている。そして、よく笑う。
ロビーで話している時は予想だにしませんでしたが(ごめんなさいね、Biplop)、実は彼こそがstart to [ ]の道を開いてくれたその人と言っても過言ではありません。
内山が日本で『エアコンが付いてたから』という理由だけで手配した『Star Hotel』のオーナーは、現在の我々の現地パートナーであるSEEDO(シード)のコアメンバーの一人でした。
しかも、ベンガル人にしては奥ゆかしい彼は、僕らが日本から来たNGOで、バングラデシュの子どもの教育をサポートしたい、ということを知っていたにも関わらず、自分の団体を最後の最後まで押し出すことをしませんでした。彼は訪問先から出る度に『次は?』と僕らに聞いてくれて、僕らの行きたいところへ連れて行ってくれました。自分のホテルの仕事もほったらかして。
ひねくれ者の僕なんかは、もしかして最初に『奇跡!僕はSEEDOって団体やっててさ!』と猛烈に押して来られたら、それだけで『うーん。』と選択肢から外してしまったかもしれません。そういう意味では、彼の奥ゆかしさ(というのだろうか)は、大いに奏功したことになります。
Biplopと出会った翌々日には、Jamalpurに7つある行政区のうちのひとつMelandaha(メランダハ)という地域の区長の自宅で飯を食べていた我々。車中でぼーっとした時間が流れるたびに、誰かしらが『やっぱりやってみるもんだねぇ』とつぶやいていたような気がします。それくらい急速に、そして出来過ぎくらいにモノゴトが動いていったように思います。
でも、なんだろう、なんだかしっくりこなかったんですよね。
区長(名前忘れた…)に見せてもらった学校も、ほとんど廃れていて何らかのサポートが必要な感じでした。『やっぱりこれって運命だよね!ここでいいじゃん!』となっても不思議ではない土地にあった学校でした。それでも僕らはそうならなかった。誰一人として、『うん!』という感じにならなかった。
この時に我々4人に共通していた妙な違和感。
僕らはこの『言語化できない違和感』をとーっても大切にする傾向があって、その夜に日本から持ち込んだ酒を飲みながら(イスラムだからお酒はなかなかないのです)、悶々とあーでもない、こーでもないと語ったように思います。今にして思えば、『ここまで来たんだから何としてでも手土産を持って帰りたい』気持ちと、『たとえ何も持ち帰れなくても納得できる支援先を見つけたい』気持ちとで揺れていた時間だったのかもしれません。
次回は、この『妙な違和感』と、Biplopがいきなり明けたstart toの扉のお話しを。
では、またね。